FC2ブログ

[過去編] 第6話:突き付けられるモノ

前回のおさらい!


心が折れそうになりながらもカウンセリングに通うミニマム武蔵。
そんな中、支えてくれる人たちがいたおかげで無事診断書を手に入れる。


幼いころからずっと悩んでいた違和感。
それに名前が付けられ、心の荷が半減される。
ようやく自由になれると胸を躍らせる。



しかし、そんな簡単に世界は変わらなかった。


家族修羅場編スタート↓


時はさかのぼり、成人式から3日後。(2015年1月)

成人式で振袖を着たことによって、女子としての生活をやりきった!
と、自分の中で勝手に思い、両親にカミングアウトしました。

お約束のように両親大激怒!

と、言うよりは意味が分からなさ過ぎてパニック状態でした。



母親は
・女の子として育ててきたのに、いきなり言われても意味がわからない
・そもそもそう言ってくる意味が分からない
・私(母)の(育ててきた)努力はなんだったの?


↑のようなことを言われたと思います。
(記憶が少し曖昧です。)


父親の方は、もともと私がスポーツをしている時にしか関与してこなかったので、この問題もスルーされました。
あまり私に興味がないのだと思います。


唯一の理解者は姉でした。
カミングアウトする直前に何かを察したのか
「誰のためでもなくて、自由に生きていいんだよ」
そう言ってくれました。
小学生以来、人前で涙を流したことは一生忘れられないと思います。
姉は当時私に彼女がいたこともカミングアウトした時に伝えましたが
「そうなの、よかったね」
と、あっさりしていました。



こうして元々あまり良くなかった家族仲が、私の軽率なカミングアウトによってさらに亀裂を生じさせ、一気に家族解散の危機へと加速していきます。



母は
私(母)の育て方が悪かった。
気がつくことができなかった。

と、自身を責め、父の無関心さが更に傷を深めたようでした。



誰が悪いでもなく、私はこういう風に生まれたのだということを伝えるには遅すぎました。
そして、20年の際月は埋められない溝を生んでいました。





私は一旦、家族から距離を置くことに決めました。




こうして地元を離れての就職に繋がります。
距離を置き、最小限の連絡しかしませんでした。


時は流れ、カウンセリングに通っていることを報告しました。
すると、両親は2人で行くからカウンセリングに同行していいかと聞いてきました。
私は理解しようとしてくれているのだと思い、申し出を承諾しました。

病院に行き、私、先生、両親の4人で話をした後、先生と両親の3人で話をすることになり30分ほど話をしたようでした。
診察室から出てきた父の表情は今まで見たことのないもので、少し胸がざわつきました。


カウンセリングを終え、ラーメン屋に行った後
母に
「理解しようとはできるけど、まだ納得はできない」
「治療もできるならしてほしくない」

と、言われ久々の再会は幕を閉じました。


その後、両親から頻繁に連絡が来るようになりましたが、両親を悲しませていることに引け目を感じていた私はやはり一定の距離を保っていました。



診断が下りてからも、両親の葛藤は続いているようで

私「治療したい」

両親「できるならしてほしくない」


の主張は平行線を辿りました。



『自分は変われても、人は変えられない』と改めて実感しました。


そして...
答えとは、得られるモノではなく突き付けられるモノだと知りました。


さて、過去編 第6話いかがでしたか?
重い話が続きますね...。



平行線を辿る回答。
焦燥感。
周りとの温度差。
失う道標。
強行突破。

次回、第7話:ジシンの喪失
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する