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[過去編] 第8話:偽りか?装いか?

どうも、お待たせしました。
ミニマム武蔵です(=゚ω゚)ノ


地元に帰ったところから始まる第8話。
過去編もそろそろ大詰めです。



2年間の女性職員としての社会人生活を終え、久々の地元へ。
1~2週間ほどニートして、元気を補充しました。

そして、新しい職場は男性として働こうと、仕事を探しました。
このころにはホルモン注射を打ち3か月ほど経っており、声も変わりだしていたため1週間ほどして、前の仕事と同じ職種で男性として雇ってくれるところを見つけました。

その会社は社長をはじめ管理職の人たちの理解があり、事情を説明すると登録は戸籍上のものでするしかないけど、現場では男性として扱ってもらえることになりました。

現場では男性職員として扱ってもらえ、仕事はしんどかったですが、精神的にはかなり楽になりました。


しかし、男性として送る順調な新しい生活も難点がありました。
そう、地元ゆえに私の過去を知っている人たちがいるということです。

両親だけでなく、親族、友達、その他もろもろ..から聞かれるたびに説明をするのは正直めんどくさいというのが本音でした。

「元々女なんだから、男になれるわけがない」
「女が男を装っているだけ」


など...正直に話すと、時には嫌なことも言われました。



しかし、自分の気持ちを押し隠すことをやめた私は

「世の中には自分のような人種もいれば、それが気に入らない人間もいるんだから十人十色なんだ」

という精神で、事なきを得ました。(笑)

それに、手術の情報やいろんな人たちの意見を聞いてみたい!
と、思っていた私は都会に移り住もうと考えていたので、そんなに精神的ダメージを受けませんでした。(笑)


そして、半年ほど男性職員として働き、貯めたお金で関東へと移り住みます。

つづく...


はい、少し短いですが、「第8話:偽りか?装いか?」
いかがでしたでしょうか?


男性として働き口を探すのは案外楽でした。
たぶん特殊職だから人手不足なんですよねー(笑)
まぁ、それで精神的にはだいぶ楽になったので、やっぱりそこら辺は大事なのかなと...。

最近、FtM(オペ済の方)で某大企業に事情を話して雇ってもらおうとしたところ、
「戸籍が女性なら女子更衣室を使ってもらうことになる」
と言われた。
という話を聞き、ショックを受けました。

オペ後のFtMが女子更衣室に入るとか、他の女性たちからクレーム殺到ものだと思います(笑)
私たちからしたら、男性更衣室で着替えだけさせてもらえればいいのですが..
難しいんですかねー?

早くいろんな人たちが働きやすくなることを願うばかりです。




さて、次回の舞台は関東へと移ります。


自分の過去を知る人のいない新天地。
手術の情報収集。
新たな出会いと転機はノリと勢い?

最終話:よろしい、ならば性転換だ。

[過去編] 第7話:ジシンの喪失

前回のおさらい!


両親にカミングアウトしたミニマム武蔵。

パニック状態になる両親。
唯一の理解者は実の姉1人。


誰が悪いでもなく、こういう風に生まれたのだということを伝えるには遅すぎた。
そして、20年の際月は埋められない溝を生んでいた。



一旦、家族から距離を置くことに決めるミニマム武蔵。



「理解しようとはできるけど、まだ納得はできない」
「治療もできるならしてほしくない」
両親にそう言われ、

答えとは、得られるモノではなく突き付けられるモノだと知る。



そして時は診断書取得後(2016年11月)に戻る。


まず、診断書についてお話ししましょう。


診断書を取得すると何が変わるかと言いますと、

・正式にホルモン注射を始めることができる
・公的手続きで使える
・SRSや戸籍変更の時に必要


など...といった感じです。

まぁ、ぶっちゃけて言うと診断書なくてもホルモン注射できるし、その後に診断書もらう人も中にはいます。

ですが、日本のガイドライン的には
カウンセリング→診断書→ホルモン注射→SRS→戸籍変更
という順序になっています。


自分の体が嫌で、1秒でも早くホルモン注射を始めたいという気持ちは痛いほどわかりますが、私個人としてはガイドラインに沿った治療を強くおススメします。


ホルモン注射を始めると、一生打ち続けなければなりません。
打ち続けるだけで体に負担がかかります。
元々体に必要ないものを入れるため、それなりの負荷はかかるのが当たり前です。
そして、その効果は個人によって大きく異なり、必ずしも自身の思い通りの効果が出るとは限りません。
また、金銭的に苦しくなり、ホルモン注射を打ち続けることができなくなると思わぬところで体調に影響が出ることもあります。

↑上記の例だけでなく、様々な弊害があります。
それでもホルモン注射を受けるのか?
受けずに生きていく選択肢もあります。
そういったことを考える期間としてカウンセリングは必要だと私は思います。



と、診断書についてはさておき...


診断がおりてからの私は悩みました。
今の職場は女性職員として働いていること
両親は治療に反対しているということ
についてです。


私は一刻も早くホルモン注射を受けたい。
しかし、女性職員として働いているため男性化していくならば今の職場にはいられない。
そして、両親はできるなら治療をしてほしくないと、いくら話し合ったところで平行線を辿るばかりでした。



診断書も手に入れ、ようやく念願の治療が開始できると思ったのにできない。
正直、私は焦っていました。


こんな中途半端な状態の私は、一体何なんだろう?
治療できないなら今まで生きてきた意味は?



自分の周りの人間は、仕事に恋に趣味などなど楽しそうな日々を送っている。
なのに自分は中途半端な人間。
GIDはいないものとして扱われている社会。
そもそも人間としてすら認められていないのでは?
これが自分自身だとすら言えない。
手術を受けるために遊ぶのを我慢してお金だって貯めたのに...


私は、何のために生きているのだろう?



同じことが頭の中をグルグル回り、表面を取り繕う日々。

嫌気がさした私は、今年度で仕事を辞め、ホルモン注射をして両親には事後報告することに決めました。


決心した私は、年末の管理職との面談で辞めることを伝え、翌年1月ホルモン注射を開始しました。
強行突破です。

その後、両親に事後報告。

「そう...わかった」

電話口にそう言った母の声は肯定とも否定とも取れないものでした。


こうして私は女性職員として務め終わり、ホルモン注射も始められ、重荷から少し解放されました。
そして両親からの希望もあり帰郷。
舞台は地元へと移ります。

はい。
という感じの
第7話:ジシンの喪失
でした。

ネタばらししますと
自信と自身が掛かってます(笑)
しょーもねーとか言わないでください(ノω`*)ノ




次回予告

久々の地元での生活。
同級生との再会。
変化の兆し。
新しい職場での挑戦。
トライ&エラー。

第8話:偽りか?装いか?

次回をお楽しみに!

[過去編] 第6話:突き付けられるモノ

前回のおさらい!


心が折れそうになりながらもカウンセリングに通うミニマム武蔵。
そんな中、支えてくれる人たちがいたおかげで無事診断書を手に入れる。


幼いころからずっと悩んでいた違和感。
それに名前が付けられ、心の荷が半減される。
ようやく自由になれると胸を躍らせる。



しかし、そんな簡単に世界は変わらなかった。


家族修羅場編スタート↓


時はさかのぼり、成人式から3日後。(2015年1月)

成人式で振袖を着たことによって、女子としての生活をやりきった!
と、自分の中で勝手に思い、両親にカミングアウトしました。

お約束のように両親大激怒!

と、言うよりは意味が分からなさ過ぎてパニック状態でした。



母親は
・女の子として育ててきたのに、いきなり言われても意味がわからない
・そもそもそう言ってくる意味が分からない
・私(母)の(育ててきた)努力はなんだったの?


↑のようなことを言われたと思います。
(記憶が少し曖昧です。)


父親の方は、もともと私がスポーツをしている時にしか関与してこなかったので、この問題もスルーされました。
あまり私に興味がないのだと思います。


唯一の理解者は姉でした。
カミングアウトする直前に何かを察したのか
「誰のためでもなくて、自由に生きていいんだよ」
そう言ってくれました。
小学生以来、人前で涙を流したことは一生忘れられないと思います。
姉は当時私に彼女がいたこともカミングアウトした時に伝えましたが
「そうなの、よかったね」
と、あっさりしていました。



こうして元々あまり良くなかった家族仲が、私の軽率なカミングアウトによってさらに亀裂を生じさせ、一気に家族解散の危機へと加速していきます。



母は
私(母)の育て方が悪かった。
気がつくことができなかった。

と、自身を責め、父の無関心さが更に傷を深めたようでした。



誰が悪いでもなく、私はこういう風に生まれたのだということを伝えるには遅すぎました。
そして、20年の際月は埋められない溝を生んでいました。





私は一旦、家族から距離を置くことに決めました。




こうして地元を離れての就職に繋がります。
距離を置き、最小限の連絡しかしませんでした。


時は流れ、カウンセリングに通っていることを報告しました。
すると、両親は2人で行くからカウンセリングに同行していいかと聞いてきました。
私は理解しようとしてくれているのだと思い、申し出を承諾しました。

病院に行き、私、先生、両親の4人で話をした後、先生と両親の3人で話をすることになり30分ほど話をしたようでした。
診察室から出てきた父の表情は今まで見たことのないもので、少し胸がざわつきました。


カウンセリングを終え、ラーメン屋に行った後
母に
「理解しようとはできるけど、まだ納得はできない」
「治療もできるならしてほしくない」

と、言われ久々の再会は幕を閉じました。


その後、両親から頻繁に連絡が来るようになりましたが、両親を悲しませていることに引け目を感じていた私はやはり一定の距離を保っていました。



診断が下りてからも、両親の葛藤は続いているようで

私「治療したい」

両親「できるならしてほしくない」


の主張は平行線を辿りました。



『自分は変われても、人は変えられない』と改めて実感しました。


そして...
答えとは、得られるモノではなく突き付けられるモノだと知りました。


さて、過去編 第6話いかがでしたか?
重い話が続きますね...。



平行線を辿る回答。
焦燥感。
周りとの温度差。
失う道標。
強行突破。

次回、第7話:ジシンの喪失

[過去編] 第5話:画面の中で会った、ような...

前回のおさらい!

ゴリゴリボーイッシュ女性職員として働き始めたミニマム武蔵。

何も知らない子どもたちからは
「オカマかよ~」
と声が上がる。

とっさに出たのは
「オカマって言うな!オカマに失礼だろ!!」
という暴論。

職場での少数へとカミングアウトを終えたミニマム武蔵は、治療を目標に精神科通院を始める。

そんな時、出会った人たちがいた。


カウンセリング編↓スタート!

-通院&出会い-
社会人1年目の6月、私はついに治療に向けて精神科への通院を始めました。

日本の性同一性障害ガイドラインでは
1年~1年半のカウンセリングに通い、2人以上の医師が認めた場合、性同一性障害の診断が下りるとされています。
※↑私が通院を開始した時の説明です。

私は住んでいた所から原付で40分ほどのところにある大学病院に通い始めました。
性同一性障害の取り扱いがあるとHPに書いてある病院なら大体どこでも大丈夫だと思います。


初のカウンセリングの時
担当医に
「1ヶ月に1回のカウンセリングを約1年。
それから診断書が出て、ホルモン注射ができるようになる。
長い道のりだし、それでも自分の思い描く通りにはならないかもしれない。
それでもやる?」

と、聞かれました。

私の返事は一つしかありませんでした。

「はい。思い描いた通りにならなくても、治療があるということを希望に生きてきました。」

担当医は
「強く言ってごめんね。
後悔するようなことになって欲しくないから意思の確認として聞いたけど、そうやって言うんならしんどかったんだね。」



そう言われて、この人ならちゃんと話ができそうだと思いました。


そこから

・自分の昔のこと
・何が生き辛いことなのか
・家族や友達との関係
・知的検査
・心理検査
・血液検査
など様々な話をして、検査を受けました。


そうやってカウンセリングに通う間も、女性として日々生きていくことが辛かったです。


女性として生活しなければならない。
女性として仕事をしなければならない。
女性としての機能が、嫌でも女性だということを自覚させてくる。

だけど、自分は男だと思う。
できるならば、男として生きて、男として死んでいきたい。



でも、今は?


中途半端な状態で、自分はいったい何なのか?
早く治療を始めたい。
もう勝手にホルモン注射をはじめてしまおうか?
だけど筋は通したい。
なら、診断書が出て両親にも言ってからにしないと...。


いろんなことが頭の中に浮かんでは消えていく。

そんな日々が続き、考えすぎて寝れない夜もありました。



ある時、FtMの掲示板があることを知りました。

実際に自分と同じような人たちと会ったことのない私は、恐る恐る今いる場所の近くで会える人を探してみました。
見事にヒット!
人生で初めて同類と呼べる人と会いました。
今考えると、素性の知れない人と会うというのは危険だというのに、ようやったなと思います(笑)
※ネットで知り合った人と会うことは、危ないことなので推奨はしません。

幸いにもその人は年の近いFtMで仲良くなれました。
その人の友達とも会い、5人ぐらいとご飯を食べに行って話をするようになりました。

診断書なしでのホルモン注射や、改名、男として紛れ込む方法など
様々な裏情報を聞いたりしました。


自分と同じように同じようなことで悩んでいる人がいる。
ということを知っただけで、少し孤独感が和らぎました。


職場のNさん存在も大きかったです。
自分のことを知っていて、唯一男として扱ってくれている男。

そんな人たちがいるおかげで、カウンセリングに通い続けられました。



そして時は流れ、2017年の11月。
待ちに待った、診断が下りました。



私が幼いころからずっと悩んでいた違和感。
それに名前が付けられたことに、ほっとしたのを覚えています。
今まで自分でもわけが分からなかった気持ちに対して、分かるようになるかもしれない。
それだけで少し辛さが減った気がしました。
ようやく次に進めると、更なる希望が持てました。
自由になれると胸が躍りました。

きっと、GIDの方々は診断が下りた時、それぞれ様々な反応をするのだと思います。



だからと言って、そんな簡単に私の世界は変わりませんでした。

【次回予告】
診断が下りたことで、更なる希望を得たミニマム武蔵。
自身と向き合い、現実とも向き合う。
しかし、世界はそう簡単には変わらない。
他人は変えられない。
選択権はあるが、選択肢は少ない。
ミニマム武蔵の答えとは?

次回、[過去編] 第6話:突き付けられるモノ

[過去編] 第3.5話:人生最大の女装

第3.5話:人生最大の女装 [番外編!!]


社会人デビューから
時は少しさかのぼり、ミニマム武蔵20歳の1月
…そう、成人式です。


・自分の自認している性別の服を着る。
・我慢して生まれた時の性別の服を着る。
・着たい服を着る。
・そもそも成人式に出ない。

...などなど、GIDにとってはまずそこから選択のスタートです。


私は嫌々ながら振袖で出席しました( ・ _ ・ )


当時両親にカミングアウトしていなかったこと、そして幼い頃から着てくれと言われていた振袖があり、それを着ることが親孝行だと思っていたからです。
今考えると、そんなことしても誰も得しないです(笑)


振袖を着ることが嫌で、うじうじ悩んでいた私に
当時、付き合っていた彼女が


「人生最初で最後、最大の女装だと思って行ってこい!」


と、なんとも漢気あふれる一言をくれ、吹っ切れた私はなんとか髪を伸ばし、メイクをしてもらい
無事、人生最大の女装で成人式に出ました!
その後、家に帰ったらものすごい速さで着替えてメイクを落としました(笑)

カミングアウトしていた人たちが、スーツや袴で参加したと聞くと羨ましかったですが、今考えるといい経験だったのでこれはこれで、よしとしています(笑)
カミングアウトしていない人たちは、似たような経験をしているのではないでしょうか?



それから月日は流れ、就活が始まり
過去編『第4話:オカマって言うな!オカマに失礼だろ!!』
に続きます(笑)


「人生最初で最後、最大の女装だと思って行って来い!!」


この言葉は一生忘れられないですね(笑)
当時の彼女に感謝です(-∀-)
え?今?今は...お察しの通りです(笑)
いたら惚気ていると思います...。


今後も思い出したら番外編更新しまーす。
では( ̄^ ̄)ゞ